2016年6月15日水曜日
鶴見和子『遺言』
今日は、梅雨を感じさせる、曇天で肌寒い一日でした。
しまうま、午後から久し振りに両国に出掛けたり、帰りに神保町に寄ったり...
それなりに元気に、楽しく過ごせはしたのですが、昨日、職場の先輩からご病気――、“進行
性核上性麻痺” の症状が、GW明け辺りから重くなってきた――、という、部署全員に向けた
メールが頭を霞め...
しまうまも、ちょこまか出掛ける方ではありますが、その先輩の行動力は、本当に圧巻!
国内はもとより、世界中をふらりと出掛けて行かれます。
いつもお土産のお菓子を頂く度に、「えーーー!この短期間に、そ、そんな所に行かれたの!」
という驚き。
その先輩から、転倒が頻繁になって来たコトをきっかけに、部署のメンバーにも正式に病状
を伝えるべき――、と判断をした――、と。
部署内では、癌との闘病が4年目を迎えながら、仕事を続けておられる先輩もいます。
こういう時に、自分が非力で...、勿論、医者でも無いのですから、それは当然なのですが、
何とも切ない気持ちに駆られます。
■ ■ ■
しまうま、丁度、鶴見和子の『遺言』を読んでいました(写真)。
彼女は『生・老・病・死』――、不可逆的な、人間不偏の人生をどう生きるか――、身を以て
語り掛けています。
副題は、「たおれてのち元(はじ)まる」。
ご自身は1995年、77歳の時に脳出血で倒れ、左半身が麻痺。
以降、2006年に亡くなられる迄、約10年、この状況の中、執筆と講演活動を続けられました。
“多忙” という言葉を軽々と飛び越え、“超” 多忙だった鶴見さん。
この本の中で、病になったからこそ生まれた新たな感覚――、特に、自然の植物や動物を、健
常であった状態とは異なる視点の話を綴っておられ...
ペースダウンしても、生ある限り...、や、不謹慎かもしれないけれど、寧ろ、ハンディがある
からこそ、新たに育まれる感覚があるのだ――、という事実に改めて気付かされ...
今、三分のニを読み終えたところですが、勇気を貰ったところです。
■ ■ ■
先輩も、今、この状況にあって、この先も、これまでよりも行動の範囲が狭まったとしても...
どうか、先輩の素晴しい感性を以てして、鶴見さんのように大いに豊かな時間を過ごして頂き
たい...
そう願うと同時に、同じ職場で居られる時間、自分などで出来るコトはそうそう無いかしれな
いけれど、出来る何かがあれば、とても嬉しいし、有り難いです。
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