2013年8月25日日曜日

映画『いのちを楽しむ』
























今日は、渋谷・イメージフォーラムで再映中の『いのちを楽しむ』を観に☟
http://www.inochiyoko.com
どうしても観に行きたかった映画。
主人公の渡辺容子さんは、40歳で乳がん発病後、治療を続けながらも56歳で転移。
その二年後に亡くなるまでを追ったドキュメンタリー。
しまうまの家族は、転移後、驚くほどのスピードで逝ってしまったのですが、彼女は二年に及
ぶ時間の中で、最期をどうするか——、を考え、身体の利く限り、ご自身のやりたいコトをされ
ました。
妹さんを始め、渡辺さんのお人柄を愛した地域のみなさんのサポートが有ったからこそ、成し
遂げられたのだなぁ...、と。
これが一般的な家庭の場合、いきなり地域のサポーターに依頼も出来ないでしょうし...
かと言って、直ぐに死ぬ…、というコトでないとすると、何処で?終わりが来るのか、看病する
側の負担が増大するのは事実。
この映画は、彼女の生き様を描くと同時に、今の日本の医療における様々な問題を炙り出して
いるように思いました。

彼女が望んでも、ベッドに空きは無い。
しまうまの家族もそうでした。
3月31日、どうにも呼吸が大変で、救急車で運ばれましたが、先生方は静観するばかりで、何の
治療も無く、TAXI での帰宅余儀なく...
治療中の患者に対して、当直医はそれまでの治療の流れを飛び越えて “自分が何かをする” とい
うコトは出来ないのだ——、というコトを学びました。
上下関係の厳しい大学病院では尚更。

いよいよ... 、の最期の一週間だけ入院出来ましたが、それでもベッドの空きは無く、無理矢理
入れて頂いていたようでした。
今、「自宅で看取る」というコトが盛んに推奨されていますが、病床のご本人がそう望まれたの
なら話は別ですが、しまうまは、現実的にとても難しいのでは…、と思っています。
最期に何が起こるか——、一応、地域の看護士さんのサポートは得られるようですが、その瞬間
にその方が居て下さる——、というのは奇跡に近い。
医療の知識の無い自分たちが——、というか、仕事を続けながらの自分では、不測の時に駆け付
けるまでのタイムラグ有り、結果、年老いた片親が看取るコトになる訳で...
我が家の場合、そんなコトは到底無理でした。

渡辺さんも、最期は妹さんが駒込病院のホスピスを交渉。終焉の地はそこになりました。
「ホスピスは、渡辺さんの意図したところでは無かったのでは」という感想もありましたが、や、
大変僭越ですが、その方は現実を知らない。
本当に難しいんです。
完全にたったひとりなら仰る通りですが、長い間看病を続ける家族にも負担はあります。
それに、病院なら看護婦さんが見回って下さるので、不測の事態にも対応が出来る。
高齢化社会——国庫における医療費の負担増の原因が、やたら入院日数に焦点が当てられている
気がして——、ま、ま、安全で家族も安心だからでしょうけれど、それぞれの立場のいろいろな
問題を孕んでいて...  、うーむ。

【写真:フライヤー。上映は今月30日迄です】

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