いよいよ――、
ザーザー、始まりました(困惑)。
来る筈だった台風は低気圧になったものの、雨足は――、とても強いです。
今日は用事があって恵比寿まで。帰路はもうズブ濡れでした(涙)。
週末は“積ん読” の整理を粛々と。
辻信一さんの『幸せって、なんだっけ――「豊かさ」という幻想を超えて』(ソフトバンク新書・2008年)
を改めて読み直しました。
その中で書いてあることは――、3.11.以降の今、読み直すと実は凄ーくしっくりきたり。
ふとこの本を手に取ったところから、読む体制に入ってしまったのだけれど――、
こういう時って不思議で、それにまつわるモノも諸々芋蔓式に出てきたりして(笑)。
そのひとつは――、1995年3月2日の朝日新聞夕刊の13面。
『社会学者・ボードリヤール、被災地で語る』です。
神戸淡路大震災が起こった直後、予てからの予定通り来日したボードリヤールとの被災地・神戸でのイン
タビュー。
―――日本では政治指導者の判断が問題になっているようだが、政治家というのは元々出来ごとの端役に
過ぎないものだ。だから政治家に情報や、情報を集中しようというような議論も最初から間違って
いる。彼らの役割はいつも重要な議論を骨抜きにしてしまうことでしかないからだ。
問題は、現代の社会では、どんなに情報の量が増えても、却って何が現実かが分からないという奇
妙な状況が生まれていることだ。
―――冷静に再建に立ち上がっている被災地の様子を見ていると、日本人の想像力の世界には、或いはこう
した自然のによって引き起こされたものであっても、実は政治的、社会的な破局なのだという点だ。
つまり自然の大災害というのは、現在の政治や社会のシステムの中の亀裂や揺らぎの存在を暴露し、
誰の目にも明らかにしてくれる。そこからは多くの教訓を学ぶことが出来る筈だ。
―――ヨーロッパでは階級闘争や革命によって社会が動いてきたが、日本の社会では自然の破局のような
予測不能な出来事をきっかけに社会が動いていくものなのかもしれない。
その意味でも、今回明らかになった様々な亀裂から何を学ぶかはとても重要なことだと思う。
ボードリヤールは2007年に亡くなり――、
彼が指摘していること――、一、フランス人の言葉として、結果、日本社会はスルーだったのか…、
と今、改めて思います。あ、これは自戒の念も込めて。
紙面のタイトルは:TVの画面が現実隠す
――災害が政治の亀裂を暴露
――国だけが豊かな日本社会
【写真:路地の紫陽花も、色づき始めました。】
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