2012年8月26日日曜日

映画『クレイジー・ホース・パリ』――女性とはフォルムなのだ



今日も酷い暑さでしたね。
みなさん、体調は大丈夫ですか。ようやく土曜日――、ひと息つけそうです。
今日は8月最後の週末。都内では高円寺の阿波踊り、麻布十番祭り――、そして、浅草のサンバ・
カーニバルまで一大お祭りデイでしたよ!
各所、凄い人出だったみたいです。

そんなアクティブなお祭りを尻目に――、しまうまは思いっ切りインドア(静々)。
以前から観に行きたかった、Frederick Wisemanのドキュメンタリー映画『クレイジー・ホース・
パリ』(写真)を観に渋谷の文化村まで ☞ http://crazyhorse-movie.jp/

確か6月から上映開始。8月一杯は上映している――、と漏れ聞いていたのですが、第一週で終わ
ってしまい(涙)――、落胆していたところに“アンコール上映” の報。
今日が初日で9月7日迄――、ということで、喜び勇んで行って来ました(笑)ー。

Parisには3ヶ所、ナイトショーをやる所があります。
ひとつはMoulin Rouge(1889年)、ふたつ目はLido(1946年)、そして、このCrazy Horse(1951
年)。しまうま、仕事/プライベート含めてParisには多分――、40回はゆうに行っています。
それなのに――、肝心のレビューには一度もいったコトがなく(汗)…、や、これは相当恥ずかし
い話です(貴女、モグリ?と呼ばれそう)。

それにしても、こういうショービズの世界は、いつも本当に勉強になります。それは自分の生活
領域ではとてもとても考えるコトの出来ない、プロの世界だからです。
特にこのCrazy Horseは“お色気度”(笑)――、としては“世界№1” だと思いますが、実際、先日
の小島慶子さんとブルボンヌさんのトークイベントでも、お話を伺いながらヒシヒシと感じたの
ですが、女性とか男性とか――、それを分ける“際” は何だろうとか――、それぞれにとっての“官
能性” って、一体?どういうものなんだろう――、と。
小島さんもブルボンヌさんも、個人につきまとうそういったイメージを昇華させている――、と
いうか、そこを今の彼等は、軽々と飛び越えていってしまっている。
つまり無意味に色っぽくならずに、そういう客観的な“事実” としてメディアで伝えている。
あの時、小島さんは「消費される存在としての自分」という表現をされていましたが、正にそう。
それは、このCrazy Horseの舞台に立っているダンサー達も同じだなぁ…、と。

消費“する” 側というのは、時として対価を払っていたり――、何れにしてもとても身勝手。
彼ら/彼女らの期待する、普段の生活とは一線を画した官能的な“女性像”――、それがこのCrazy
Horse なのだと。
外見的に女性を規定するモノと言えば、バストだったりウェストの細さだったり、丸みを帯びた
ヒップだったり…、
Crazy Horseでは完全ヒップ!主義(笑)。
女性という“性” が誇張され――、単純化され――、という映画を120min見ると――、
普段、当事者である私たち女性は、実はコトをやたら難しく考え過ぎちゃって、悩んじゃったり
して、無駄なコトにお金使っちゃったりしてないか!?――、
てなコトを考えさせられたり(あ、自分も含めて・笑)。

で、気付いた。
しまうまが、こういったレビューを観に行かなかったのは、“男性の観るモノ” と考えていたし、
そういった性的なモノの誇張をリアルに捉え過ぎていたんじゃないか――、自分の中の偏見が、
レビューを遠ざけていたんだ――、と。
次の――、仕事じゃない機会にCrazy Horse とMoulin Rougeは絶対、行こー!と、意を新たに(笑)。

※昨日もフリーズ、フリーズ。夜中の1時半まで粘ったけれど、結局、無理でした(涙)。
  今、改めてUPさせて頂きます(謝)。

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