2012年3月5日月曜日
Beautiful Aging
はいはい、今日はもうひとつ書きますよ(☜煩い)ー!
こういう好きなコトは筆が進むのに――、駄目なものにはパッタリと――、うんともすんともひと文字も
進まない(困)――、という事実を今日も猛省中。
■ ■ ■
今となっては3週間くらい前だと思うのですが、雑誌『anan』でアンチエイジングの特集号が発売さ
れました。
電車の中刷りに「25歳から老化が始まる!早くその対策を!」的な文言があったのには、正直びっ
くり。や、それは自分が、その齢を充分に過ぎ過ぎている(☜不用意に強調・笑)ということだけで
はなくて――、所謂、“生物学的に”とか、“生殖学的”にはそれは正論!なのだと思うのですが、
でもでも本来であれば、そんなことを心配するような年齢では全くない――、
正に、これから!という年齢の女性たちです。
それを煽動するようなコピーには――、勿論、いろいろな利害関係者があることは充分に理解してい
る上で、これは何だかなぁ――、と思った次第(☜「おばちゃん、何言ってんの?」的な――、かな~
りの老婆心・詫)。
でもそれを後押しするように、翌日の朝、ジョン・カビラさんの“Tokyo United” というラジオ番組で、
その週に出る雑誌を紹介するコーナーがあるのですが、彼は「予てからこのアンチエイジングって
言葉はあまり好きでは無いんですよね。この“アンチ” という表現が、Beautiful Aging にならない
のなかな…、って思うんですよ」と仰ったんです。
しまうま、そのコメントに確信を深め(笑)――、
昔、どこかで読んだ記事ですが、例えばいつも高価な美味しいモノばかり食べていたら、本来なら
材料的にも充分に美味しいモノも、ヒトは更に高みを望もうとする…
肌も一緒で、若い時に年齢よりも高価なものや栄養過多だと、どんどんレベルを上げていくしかな
くなってしまう――、という内容で、勝手に「なるほどなぁ」と思いました(☜何事もいいように解釈・
笑)。
肌も身体能力と一緒で、或る程度は自助力で細胞が生まれ変わろうとしていることを尊重しなくて
はならないだろうなぁ――、とも思います。
このことをツラツラと考えていた時――、古本で買った文庫を本棚から久し振りに引っ張り出しました。
白州正子さんのエッセイのオムニバス『美しくなるにつれ若くなる』(角川春樹事務所, 1998年)で
す(写真)。
その最初の頁(14頁)に次の言葉があります。
――「人間」に年などありません。若くとも一所(ひとつところ)にじっとしているならば、それは既に
年老いたのです――
彼女は続けます(24頁)。
――頭は使わなければさびつきます。人間も磨かなければ曇ります。若い頃美男だった人が三
十になるとふつうの男になり、四十すぎると見られなくなるのは、みんな自分のせいです。
時間のせいではありません。本来ならば、人間は老人になればなるほど美しくなっていい
筈です――
む、む、む、女性の自分も身につまされ、「あ、イタ、タ、タ…」という感じです(涙)。
でも、こんなにもはっきりしたモノ言いの方は、いい意味でも悪い意味でも、最近はいなくなりま
した(しみじみ)。
ま、ま、これは間違いなく若い方には???で、自分のような者には沁み入る言葉なのかもしれ
ません(笑)。
そして、常に本を捨てよう、捨てよう――、と思いながら、こうやって何かを思い起こす度に――、
ついついパラパラと読み返してしまい、捨てられずにいるのであります(呆)…
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