2012年10月9日火曜日

徒然…



今日はMilanoの“食” 編に移る筈でしたが...、今日の最後の仕事で、かな~り疲労困憊。
ちょっと頭が回らない感じであります(本音)。
すみません。明日UPさせて下さい(詫)。
■ ■ ■

最後の仕事へ移動する電車の中で、今春亡くなられた 現代を代表する思想家であった方のお嬢さんが、
お母さまが亡くなられた事をツイート。
TLを流れて来たその瞬間、あれからほんの半年しか経たないのに、本当に凄く驚いて...
そのお嬢さんも、とても著名な方なのに、しまうま、思わず言葉を返してしまった。

たった...、本当にたった半年の間に、両親を失くす悲しみは、とても他人事とは思えず...
きっとお母さまはお父さまの看病の疲れもあったと思うし、自分のコトよりも何よりも全てお父さまを
優先されて来られて、日々気も張っておられたのだと思う。

彼女はお父さまの死を...、最期の状況をツイッターで綴っていて...、そのツイッター以外に一切のイン
タビューを固辞している。
この姿勢、凄く分かるなぁ。

長年やってきたmixi に区切りを付け、スタートしたFBは...、本音、ちょっと息苦しい所だ。
しまうま、基本、お世話になっている方や、リアルで知っている中でも、自分が“comfortable” な方しか
承認させて頂いていない(失礼な言い方だったら、ごめんなさい/詫)。みなさんの近況を知れるのは、
とても嬉しいので相手が“What’s new” をupdate すると、“いいね!” を押したくなる...、とか、ま、ま、
時には押さなきゃ悪いかな...、という気持ちについついなってしまう。
自分が押す分にはいいのだが、そうすると「じゃぁ自分がUP!しよう」とすると 正直、二の足を踏んでし
まう。事実、最近は怖くなって、あまりUP出来ていない。
勿論、自分の近況を好意的に楽しみにしてくれているヒトもいると思うし、義理で押してくれるヒトもい
る。自意識過剰と言われればそれまでだが、何だかそれが、本来なら自由裁量に任されている...、筈のモ
ノが、或る“暗黙の” 強制力を持っているように感じてしまうからだ。

本来、FB上のしまうまの友だちは200人くらい。でも実際、日々、稼働しているのは多分、10%程度の肌
感覚。
FBの持つ、或る種の“モニタリング機能” は、安全・安心をもたらす一方、難しさも孕んでいるなぁ、とも。
実際、しまうまも助かっているのは、自分が“何かをした” とか、“どこかに行った”...、というコトでは
なくて、何かイベントが或る時に、賛同して集まってくれたりする仲間達の存在だ。
すると、今、兎角、LINEのソーシャル化が話題になっているけれど、確かにFBと十分互角に行けそうな気
もする...

だし、だから しまうまは、誰が見ていてくれるか&賛同してくれるか...、をトレースするFBよりも、ツイ
ッターや、拙い文章のこのブログの方が、気になるヒトが、気になる時に見て貰える...、そんな気軽さも
あって、みなさんへのお目を汚し感がありつつwww ...、気持ちがとても楽なのである。

※今日は写真はありません。

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